「禁断のテレパシー」や「嵐の素顔」など数々の名曲で1980年代から1990年代の音楽シーンを彩り続けた工藤静香さん。歌手としてだけでなく、女優やデザイナーとしても多方面で活躍し、家庭では夫の木村拓哉さんと二人の間のお子さん(Kokomi/Kōki)の活躍を支えるなど、プライベートでも注目を集めています。今回は、そんな工藤静香さんの若き頃についてご紹介します。
現在の工藤静香さん
工藤静香さんの生年月日は1970年4月14日。2024年現在で54歳になります。
自然体で気取らないライフスタイルを送りながら、美しさと輝きを保ち続ける姿が自身のインスタで公開されています。世代を超えて多くの人を惹きつける魅力があります。その魅力は、若い頃から積み重ねてきた努力と、家族との大切な時間を大事にする姿勢から生まれているのでしょう。
デビュー当時の工藤静香さん
工藤静香さんは中学生時代から芸能活動をスタート。1984年、中学2年生の時に「ミス・セブンティーンコンテスト」で特別賞を受賞しました。応募総数が歴代最大18万325人となったこの大会では多くの後に活躍するアイドルたち(国生さゆりさん、渡辺満里奈さんら)が参加していたことから、工藤さんが当時から非凡であったことが想像されます。
ミス・セブンティーン決戦大会出場者
— 懐かしい昭和時代(女性) (@natsukashi__) August 3, 2020
週刊セブンティーン 1984年(昭和59年)7.31月号
工藤静香、国生さゆり、渡辺美里、網浜直子、木村亜希(清原の元妻)、松本典子(佐藤美和子)、藤原理恵、村田恵里…の、そうそうたるメンツ。 pic.twitter.com/hgZY7u4hQz
同年、アイドルグループ「セブンティーンクラブ」としてデビューしましたが、シングル二枚目で解散、短命に終わります。
高校生になると、1986年にフジテレビの『夕やけニャンニャン』のオーディションに合格し、おニャン子クラブの会員として活動を開始。1987年5月にはフロントボーカルに抜擢されました。
当時についてファンは「グループの中で一際目立つ存在だった)」「メンバーの中では大人っぽくて異色のキャラ」「歌唱力とルックス」などのほか、「話している時と歌を歌っている時のギャップがすごい。しかも、歌は上手いし、今聞いても気持ちいい」などの声があり、そんな唯一無二の魅力が絶大な人気を呼んだようです。
おニャン子クラブの中で徐々に知名度を上げていくと、生稲晃子・斉藤満喜子と共に派生ユニット”うしろ髪ひかれ隊”としての活動、デビュー曲『時の河を越えて』がオリコンチャート週間1位に。
ソロデビューからヒットまで
1987年8月31日、おニャン子クラブ解散直後に、工藤静香さんはシングル「禁断のテレパシー」でソロデビューを果たしました。
この楽曲はオリコンチャートで初登場1位を記録し、鮮烈なスタートを切ります。以降も「Again」「抱いてくれたらいいのに」などの楽曲を次々とリリースし、1988年に発表した「MUGO・ん…色っぽい」や「恋一夜」でアイドルからアーティストへと進化。独特の歌声と大人びた歌詞で多くのファンを魅了し、日本の音楽シーンで確固たる地位を築きました。
工藤静香さんは整形している?
工藤静香さんの整形疑惑は、長年にわたり話題となりYahoo!知恵袋でもたびたび取り上げられています。一部では「若い頃と顔が違う」との声もありますが、デビュー当時のスタイル、美貌と比較すると大きな変化は感じません。
「美容のため」として一般人でもかなり一般的に採用されつつあるヒアルロン酸やボトックスなどのプチ整形などは考えられますが、生まれ持った器量そのものが一般人よりも突出しています。
工藤さんはその美貌を活かし、アーティストやデザイナーとしても活躍中。整形が事実でも、外見だけでなく、その個性と才能から滲み出るオーラ自体が、多くの人の心を掴んで離さないのでしょう。