024年に第102代内閣総理大臣に就任した石破茂氏。
その穏やかな語り口や地方創生への熱い想いから、多くの支持を集めています。しかし、彼がどのような人生を歩んできたのか、ご存じない方も多いのではないでしょうか?
今回は、石破総理の人生を5つのフェーズに分け、各時代の魅力やエピソードを画像とともに紐解いていきます。
幼少期から学生時代、銀行員としての社会人時代、そして政界進出後の活躍や総理大臣としての姿まで、石破総理の知られざる側面に迫ります!
それでは、さっそく石破総理の物語を始めましょう。
現在の石破総理
石破総理の生年月日は1957年2月4日。
2025年現在で67歳になります。
項目 | 詳細 |
---|---|
生年月日 | 1957年2月4日(67歳) |
出生地 | 東京都千代田区 |
出身校 | 慶應義塾大学法学部法律学科卒業 |
前職 | 三井銀行(現・三井住友銀行) |
所属政党 | (自由民主党(渡辺派)→新生党→新進党→自由民主党(額賀派→無派閥→石破G→無派閥)) |
称号 | 法学士(慶應義塾大学・1979年) |
配偶者 | 石破佳子 |
宗教 | キリスト教プロテスタント |
1. 幼少期と学生時代(1957年~1979年)
石破茂氏は、1957年に東京都千代田区で姉2人の末っ子長男として誕生しました。
翌年1958年、父が鳥取県知事に就任したことを機に、家族で鳥取県八頭郡郡家町(現在の八頭町)へ転居。石破氏は中学校卒業までこの地で育ちましたが、幼少期の東京での記憶はほとんどないといいます。
母親は元国語教員で、教育熱心な人物でした。小学校時代には毎晩1時間ほど偉人伝を朗読させられるなど、家庭での教育が大切にされていました。
石破氏は鳥取大学教育学部附属小学校・中学校を経て、慶應義塾高等学校に進学。
1979年には慶應義塾大学法学部法律学科を卒業しました。在学中には全日本学生法律討論会で1位を獲得するなど、法学の分野で優れた成果を残しています。
2. 銀行員時代(1979年~1986年)
大学卒業後、石破茂氏は新聞記者や日本国有鉄道への就職を検討しましたが、父・二朗の反対によりこれらの進路を断念。1979年に三井銀行(現在の三井住友銀行)へ入行しました。
入行後は東京都中央区の本町支店に配属され、金融業界での第一歩を踏み出しました。
3. 政界進出と初期の活動(1986年~2000年)
1981年9月、父・二朗が死去。父の死後、二朗の友人であった田中角栄元首相から「おまえが(おやじの後に)出ろ」と薦められ、政界入りを決断。
1986年、28歳で全国最年少の衆議院議員として初当選を果たし、政界入りしました。
その後、農林水産政務次官や防衛庁副長官などの要職を歴任し、防衛や農業政策に関する知識と経験を深めていきました。
4. 閣僚としての活躍(2000年~2020年)
2002年に防衛庁長官、2007年には防衛大臣に就任し、日本の防衛政策に大きな影響を与えました。
また、2008年には農林水産大臣として農業政策にも携わり、地方創生や農業振興に尽力しました。自民党内では政調会長や幹事長などの重要な役職も務め、党の政策立案や運営に深く関与しました。
5. 内閣総理大臣就任(2024年~現在)
2024年10月1日、第102代内閣総理大臣に就任しました。地方創生や安全保障政策に重点を置き、国内外の課題に取り組んでいます。また、鉄道やラーメン好きとしての一面も知られており、親しみやすい人柄で国民からの支持を集めています。