竹内まりやの昔も可愛い!デビュー時の若い画像まとめ

竹内まりやさんは、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家、音楽プロデューサー。夫はミュージシャンの山下達郎さんで、結婚42周年となる現在は家族・夫婦の時間を最優先にしながら活躍されています。。

若き頃からヒット曲の数々を歌い上げ、作詞家としても名を残してきた竹内さん。

そんな竹内まりやさんの若き頃についてご紹介します。

現在の竹内まりやさん

竹内まりやさんの生年月日は1955年3月20日。2024年現在で69歳になります。

現在はワーナーミュージック・ジャパンに所属し、芸能事務所スマイルカンパニーと、夫と共同経営する個人事務所で活動しています。

23歳での音楽界デビューから43年。今も進化を続ける声量と研ぎ澄まされた歌声に、幅広い世代のファンから愛されています。

2024年のケンタッキーフライドチキンのCMでは今年の冬も「すてきなホリデイ」が起用されています。もはや冬のケンタッキーといえばこの歌。脳内再生されるほどお馴染みの歌となっていますね。

デビュー時の竹内まりやさん

1978年、シングル「戻っておいで・私の時間」、アルバム『BEGINNING』で音楽界デビュー。

1979年に「SEPTEMBER」で第21回日本レコード大賞で新人賞を獲得すると、翌1980年には資生堂のCMソング「不思議なピーチパイ」が大ヒット。

アイドル不在の時代に竹内さんの美貌は芸能界の熱視線を受けることになり、バラエティ番組や、雑誌の表紙やグラビアなどの仕事もこなさなくてはならず、疲労が溜っていきます。この頃に出会った山下達郎さんとは公私共に力になる存在として、竹内さんを支えました。

1981年には心身を休めるため、音楽活動の休止を宣言します。

1982年に山下達郎さんと結婚

夫に対する結婚42周年のふたりは、公私にわたるパートナーとなっています。

山下達郎さんと竹内まりやさん(当時27歳)

結婚後はメディア露出を減らしますが、山下さんの後押しもあり、その後シンガーソングライターとしても活躍していくこととなります。結婚から2年後の1984年のアルバム『VARIETY』は、全曲自作で高評価を受け、30万枚以上を売り上げました。

妻としての竹内さんはデビュー前から現在まで山下さんへの深い尊敬の念を抱いているといい、山下さんも驚くほどの才能を持ちながらメディア露出やコンサート出演も制限。家族との時間を大切にしています。

天才的な作詞作曲家としてヒットを連発

1980年代は薬師丸ひろ子の「元気を出して」(1984年)、岡田有希子の「-Dreaming Girl- 恋、はじめまして」(1984年)、中山美穂の「色・ホワイトブレンド」(1986年)1980年代半ばに中森明菜のアルバム『CRIMSON』に複数の楽曲を提供し、いずれもヒットを連発。

1990年代には『火曜サスペンス劇場』の9代目主題歌「告白」、「マンハッタン・キス」、「純愛ラプソディ」が最大のヒット曲に。
人気アイドル広末涼子が歌手としてデビューするに当たってシングル曲「MajiでKoiする5秒前」を提供し、これもヒット。作詞家としての実力を遺憾なく発揮しました。

『Bon Appetit!』(2001年)や『Longtime Favorites』(2003年)をリリースし、オリコン1位を獲得。その後も数々の名曲を生み出しています。